【コーチング記録】膝を抱えて泣いていた幼いわたしが顔をあげた

生きづらさを感じているので、自分を変えたいと始めたコーチング。
第3回は新年明けてすぐの1/6(土)でした。

セッションを受けてすぐ上記のツイートをするくらいには、インパクトの大きなものでした。
むしろ大きすぎてうまく感情を咀嚼できずにずるずる寝かせているうちに体調を崩し、またずるずると寝かせてを繰り返した結果、仔細を忘れてしまいました。

やはりすぐに向き合うべきでした……。

セッションで記憶に残っていること

これまではフローと共に内容を記載していたのですが、今回はすっかり忘れてしまっているので、印象深く残っている部分についての感情を整理しつつ綴ってみようと思います。

心のキーマン:小学4年生の時の担任教師

唐突ですが、わたしは小学4年から中学3年までいじめられていました。
小学校の時は同学年から、中学校の時は同学校から、です。

小学4年の時に、放課後に有志のメンバーでわたしに関する題材で学級裁判を起こしているのを見ました。
中学の新入生歓迎会の部活動紹介の時に、「こいつに近付くと腐るから、できるだけ息止めてろよ」なんて他の学年の生徒に向けて同級生が教えてるのを聞いていました。
中学校の時は毎年三学期になると「来年誰と同じクラスだったら登校できそう?」と質問されるような、先生方公認のいじめられっ子です。

でも、わたしは先生方に助けてと言えませんでした。

なぜなら、いじめられはじめた小学4年の時、担任教師に助けを求めた手を払いのけられたからです。

わたしは被害者ではない

先にチラリと触れた学級裁判があったのは、まだわたしがいじめられはじめて間もない頃です。
その頃はまだクラスの一部からのいじめでしかありませんでした。

ある日の放課後、わたしを目の敵にしている男子児童が中心となって、中心となった男子生徒の妹を含めた有志の面々が参加する学級裁判を行なっていました。
わたしは教室の外に出ていたために偶然その学級裁判に行きあってしまいました。黒板にわたしの名前と議題のようなもの(詳細の記憶はありませんが、退学させるとか殺すにはとかそういう系だったと思います)が書かれていたのを覚えています。
特に何も言わずに教室に入って荷物を持ち出し、そのまま帰宅しましたが。

その翌日のことです。
学級裁判を目撃したクラスメイト二人に女子トイレへ呼び出され、学級裁判を見たと伝えられます。
「先生に言った方がいいよ」「一緒に行くから」と口々に言われてわたしは了承し、担任の元へ行きました。

そして担任に言われたのです。

「(クラスメイト二人は)見ていただけでその場で何も言わなかったのなら、あなたたちもいとさんをいじめている」
「いとさんはAさん(別のおとなしいクラスメイト)へのあたりが強い。あなたもいじめっ子。被害者ではない」

言っていることは分かります。
でも、クラスメイトと一緒に助けてと言いに行ったのに「あなたも悪者だよ」と言われてしまったのです。

それ以降に、学級裁判を行なった子たちが先生に呼び出されたり、クラス全体に対して何らかの話があったり、ということはありません。
そして、わたしに伝えてくれたクラスメイト二人はそれ以降、傍観者からいじめをする側へと変わりました。

この出来事を通してわたしは、先生という存在に助けを求めるという選択肢をないものとしました。

心を守るために感情を閉ざす

記憶力はそれなりにあるのでどんな出来事があったか、それなりに年を重ねてからは覚えています。
コーチと話をしていると、その記憶は鮮明な方らしいことも分かりました。

例えば保育園に通っていた頃、今もおでこに痕が残るような大きな怪我をしました。

新緑が庭のそこかしこにある記憶があるので、確か三月だったと思います。
ついでに言うと、母が翌年も通う園児向けの案内か何かで保育園に行っていた記憶もあるので、三月も終わり頃の土日かと。

わたしはひとり自宅の庭で三輪車に乗って遊んでいました。
庭の隅には郵便ポストがあり、その足元に祖父の仕事で必要な一斗缶が複数開封された状態でおいてあります。
わたしは一斗缶に勢いよく三輪車でぶつかりました。あまりの勢いにわたしの体が前につんのめり、一斗缶の角(それも開封に伴い鋭利になっている部分)におでこをぶつけてぱっくりと開いてしまったのです。
車を運転できるのは、当時祖父と両親の三人ですが、全員出払っていました。免許を持っていない祖母に止血してもらいつつ、様子を見ていたところに保育園から母が帰宅したので、母の運転する車で当直の開業医(事前に救急医療センターに電話して当直の病院を確認済み)へ連れて行ってもらいました。

この件に限らず、たいていの出来事は同じくらいのボリュームでその時の情景を思い出すことができます。

でも、その時の感情が一切思い出せません。
セッションでその時の感情について何度もコーチから問われました。
本当に何も浮かばないんです。必死に考えて考えて、それでなお、「多分痛かったんだと思う」と想像することしかできないんです。

感情を思い出せないのは高校入学前までのすべての出来事に対してでした。
両親に対しても弟に対しても、基本的に感情を覚えていません。わたしが持つ幼い頃の感情の記憶は、祖父母に対する「いつもありがとう」という感謝の感情と、父親が怖いという恐怖の感情のふたつだけでした。

敬語で話さなくてもいいんだ

中学に入ってから、気づいたらわたしは敬語で話すようになっていました。
常にですます調で、さん付けでしか人の名前を呼ぶことができません。
同じカーストにいる(わたしと同じキモラーズという集団名で呼ばれる)仲間だけは呼び捨てやちゃん付けで呼ぶことができましたが、それでもですます調を外せません。

わたしは最底辺カーストに所属していましたが、その最底辺カーストの中でも若干上よりの位置にいました。
そのためか、ありがたいことに、ひとつ上のカーストの下よりの人たちと話すことが許されていました。
(中学3年の2学期途中からは最底辺カーストのひとつ上にあがることができ、集団名から個人名で呼ばれるようになりましたが、本筋から外れるので補足程度に)

そんな最底辺カーストの一つ上のカーストに属する人の一人が、「次に敬語で話したら絶交するからね! さん付けも禁止!」と何度もわたしに伝えてくれました。
そのたびわたしは必死に直そうとするのですが、敬語もさん付けもやめることができません。ほんの少しでも気を緩めると、すぐに戻ってしまうのです。

そんな中で高校へ進学しました。
入学初日、クラスメイトと自己紹介を交わしつつ担任が教室へ入ってくるのを待っていました。
その時のことです。

わたし
わたし

いとと言います。
〇〇中学から来ました。
これからよろしくお願いします。

わたしがそう発言した途端に、場の空気がざわりとしました。
「え? 敬語?」という声も聞こえたと思います。
その時わたしは

わたし
わたし

もう敬語で話さなくてもいいんだ……!

と目の前が明るくなる感覚を味わったのです。
顔の前から後ろへと暖かな風が吹く感覚や、顔が上を向く感覚もしました。
今でもこの時の感覚を強く覚えていますし、思い出すたびに同じ感覚――感動といってもいいくらいの心の動きを覚えます。

カーストを一つあがって以降のできごとに関する感情は覚えていたり覚えていなかったり、なのですが。
この日以降に思ったこと、感じたことはしっかり感情と共に覚えています。
覚えていられるようになりました。

先生という存在と面談すると必ず涙が溢れる

そんなふうに感情を取り戻して(?)からも、ずっと分からないことがありました。

それは、先生という存在と面談すると絶対に泣く、というジンクスです。
それは中学でも高校でも大学でも、男の先生でも女の先生でも、担任でも担任でなくても、関係ありませんでした。

この時の感情は面談中でも分からないくらいなので、振り返っても分かるはずがありません。

ただ、涙が溢れるんです。

しゃくりあげるように泣くことはありません。
目尻に涙が浮かんで、瞬きのたびに頬を伝う。気づいたら瞬きなしでもこぼれ落ちている。
そんな感じの静かな泣き方です。

セッション中、コーチに言われました。

コーチ
コーチ

小四の時の担任の先生がいとさんと向き合ってくれなかった、という経験がある。
だから先生はいとさんを助けてくれる存在ではないと思っている。
そんな中で向き合っていとさんの話を聞いてくれたから、小四の時の担任の先生とは違うと思って涙したんじゃないかな。

この話を聞いた途端に、わたしの涙腺は瞬間的に決壊しました。
比喩でなく、事前予測もできずいきなり決壊しました。しゃくりあげはしないものの、ボロ泣きです。鼻水だらだらです。

先生という存在に助けを求める、という選択肢を排除しました。
でも、わたしは先生に助けて欲しかった。
だからわたしと先生が向き合って話をしてくれるから、わたしの話を受け入れてくれるから、〇〇のような感情になって涙していたんです。

まだ、この〇〇の部分に当てはまるしっくりくる言葉が見当たりません。
救われた、とか、嬉しい、と言った言葉は浮かびます。でも少し深掘りすると違うと感じる言葉なのです。

それでもわたしの中で気づかないうちに大きな楔を埋め込んでいたのが小四の時の担任だったとわかったことは、わたしがわたしを知るための大きな一歩につながると思っています。

まとめ

初回セッションの時に判明したわたしの対人関係構築時のくせに影響を与えたのも小四の時の担任です。
いろいろな意味でこの担任はわたしにとって大きな影響を与えた存在なのだと改めて思いました。

とはいえネガティヴな面ばかり取り上げていますが、

  • 一人の人間を定義づけるには多方面から見る必要がある
  • 同じ人に対する評価であっても、見る人や関わる人によって360度異なる評価となることがある

ということを学んだのも小四の時の担任だと思っています。この点には感謝しています。
代償の方が大きすぎて、素直に褒めたくない気持ちもありますが。笑

そんな感じで、3回目のセッションが終わりました。

セッションを終えて一番感じたイメージは、膝を抱えて暗闇の中でしゃがみ込んでいた幼いわたしが光の下にひっぱり出された感覚です。
もう泣かなくていいんだよ。あの先生が特殊なだけで、わたしは一人じゃないんだよ。
そう言いながら抱きしめてもらったような気がします。
幼い頃の自分が救われたなと思っています。

いろいろ感情がぐちゃぐちゃになりましたが。
今回もセッション、ありがとうございました。